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朝方 少し 冷えましたが 日中は いいお天気でしたね 。

今日、みなさんは いかがおすごしでしたか?

朝5時 46分

忘れたくても 忘れられない震災
14年たったのですね… 。

早いのか… まだ14年なのか…

今朝 黙祷をしながら 様々な事が 脳裏に浮かびました。

おはようパーソナリティのアシスタントをしていた私は 
その時 阪神高速神戸線の海老江を 自分の車で走っていました。

突然目の前に 青い稲妻が 走ったかと思うと

高速道路が 波うち 隣を走っていた タクシーが 横にとんできて あわや 接触。

真っ暗になった 高速を降りたとたん ビルの窓ガラスが 粉々になって 車に降ってきて …

その後は 車のヘッドライトだけを頼りに
必死に ABCまで 走ってました。

あの時体験した揺れと  稲妻の青い光 粉々のガラスが降ってくる音 。

その直後の 恐いくらいの静寂…

忘れられません…。

何が起きたか わからないまま ラジオの本番が始まり

入ってくる情報を 必死にお伝えし

徐々に 事態が わかりはじめても  
どこか 私たちの事じゃないような

頭が 勝手に 逃避していたような感じだった。

テレビ画面に映った 大きな塀が 横倒しに なっているような映像が
阪神高速神戸線と 気付くまで   かなりの時間を要し

倒壊現場を  地震5分前に 走っていた事に 気付いてからは
体の震えがとまらなかった… 。

いまでも 高速道路倒壊の 映像と 神戸の町から 黒い煙が 何本も上がっている 空撮の 映像を見ただけで …

心の奥が 鷲掴みにされたように 痛く 無条件に 涙が溢れ 呼吸が乱れる。

泣くのではなく 泣けてくる…

きっと 死ぬまで 変わらず 続くと思う 。

14年たっても その事は 変わらない…

生かされてる この命 。

うかっ~としていられないと 思い知らされます。
19 : 48 : 42 | ひとりごと | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
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コメント
忘れてはいけない。
神戸の人なら、いや阪神間の人ならあの日のことは忘れられない。
揺れる前に感じたいやな感覚と鳥肌、そして地面の底から何かが来ると思ったら、地鳴り そして   。

どっかの県知事が、よそでおきたらチャンスなんて、考えられないこと言いましたが。
地震は起こるのかもしれない、でも被害だけは、最小限に済むようにしてほしい。
私には願うことしかできませんが。
by: てっちゃん * 2009/01/17 21:03 * URL [ 編集] | page top↑
どうしてるかな?
あの時僕は深江にいて、マンションの隣に住んでた母子家庭の親子は今どうしてるのか、今でも気になります。避難所の小学校で「頑張って生きる」と言ってた顔が忘れられません。
by: 飛梅 * 2009/01/17 21:07 * URL [ 編集] | page top↑
当時あさおチャン 寒いなか朝から携帯でリポートしてましたよね あさおチャンにはみんなに伝えていける立派な口があります これからも頑張ってね
by: やす * 2009/01/18 07:46 * URL [ 編集] | page top↑
怖かったですね
あの朝、ジャンパーを着て新聞を読んでいました。突然ドン~と突き上げるようなショック、続いて横揺れ、一分間程か。受け皿が丸型の石油ストーブは少し回転しながら移動、やっとのことで火を消して、次にドアを開けてスニーカーを履いて入り口に立っていました。テレビをつけると『神戸の方らしい』と。その時はまだ電話が通じたので親戚、友人に問い合わせをすると、家具はグシャグシャだが怪我のないことだけを確認できた頃から電話が通じなくなりました。
堺市に住んでいる私は、午後から電車が動き出したので、出勤しました。
by: パイン * 2009/01/18 10:25 * URL [ 編集] | page top↑
みるくの涙
あの朝、あのころ住んでた灘区の県公社の団地に前日実家の広島から帰ってきて、休み明けの早出で、スラックスをはいている時でした。内緒で一緒に住んでた猫のみるくが落ち着きなく、様子がおかしいと家内が抱いたその時にグラ~と団地ごとゆすられる感じで、ミルクは家内の手から飛び出してどこかへ…。私は立っているのがやっとで何が起きているのか把握もできず、家内を見つめるだけ。揺れが収まり、唯一倒れていたステレオの棚を起こし、ミルクを探しに行くと、洗濯機と壁の間に入り込み、目をウルウルさして涙流しながら、壁にヤモリのごとく張り付いていました。外に出ても、シ~ンと静まり返っていて、煙がひと筋ふた筋上がっているだけで、音がない不思議な風景でした。幸いうちの団地は大きな被害もなく、ライフラインのストップだけで済みましたが、大阪の家内の実家に3ヶ月位お世話になったのを昨日のことのように思い出します。起きてすぐは電話も通じたので、あんな大きなことになっているとは思いもせず、家内の実家の大阪に電話を入れて初めて、神戸が震源と聞きました。あれから14年。いろいろあって大阪で生活することになり、みるくも2年前に召されてしまいました。今でもあの時を思うと切なくなりまし、みるくの涙を浮かべた顔は目に焼き付いています。電車通勤が車通勤に変わったのもあの頃で、そこで出勤時間帯のおはパソをはじめて聞き、おさお姉さんを知りました。自衛隊のヘリが指示系列の不手際ですぐに出動できなかった話で、あさお姉さんがオンエア中に泣き出して、道上さんの「あさおちゃん泣きな!これからが大事なんや!」という言葉が今も残っています。ここ何年かで、体調を崩し、精神的にもへこんでますが、あの時を思い出し、少しづつでも前向きに頑張っていければと、何年かぶりに思えた1日でした。
by: みるくパパ * 2009/01/21 10:44 * URL [ 編集] | page top↑

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